仕事でも何でもそうですが、ベテランと言う存在がいます。新人と中堅、そしてベテラン。その境界線は極めて曖昧だ。こと茶の湯においては、ベテランの存在は強烈です。と言うのも、ベテランと呼ばれるようになるには、茶歴が最低でも30年は必要だから。
私の知る中で最もベテランな人は、茶歴70年以上もざらです。だから私のような茶歴20年程度の、しかもブランクが多かった若造が偉そうな顔をする事など、夢のまた夢。それ故に、私は人に茶を教えるときも、常に自らが学ぶつもりで教えています。
そこにきて、近年の人事という仕事はかなり状況が悪くなりつつあるように思います。と言うか、企業が人事をあまりにも軽視している節が強いのです。人事は企業にとって、生命線であると言うのに関わらず。
多くの企業で、人事と言うのは掃きだめのような扱いを受けるケースが多い。人事は下から嫌われ、労組に攻撃され、上からは金食い虫のように見られます。だが、企業を支えるべき「人」と言う最強の経営資源を管理するのは他のどの部署でもない、人事なのです。
茶の湯において、例えば大きな大会などでの点前披露をどこの社中の、誰がやるのかを決めるときは、やはり超ベテラン層がそれを考慮します。社中の茶の湯の実力や周囲との兼ね合い、社中に控える生徒の人数、師範の貢献度、持ち合わせている道具の善し悪しなど、様々な要素を考慮して、「ほな、あなたの社中が○○をやりなはれ」と言うのが通常。そしてその振り分けは、往々にして全体を上手く潤滑させます。
だが現在の人事はどうでしょう。企業の掃きだめのような扱いの人事部に、果たしてそこまで考慮できる人材が集まっているとでも云うのでしょうか。人事をする上において、人を見る目が無くては、上手く行くはずが無いのは当然。人の配置を考えるとき、対象者の仕事の能力、周囲からの評判、周囲との協調性、リーダーシップ、発想力、企業に対する忠誠心など、あらゆる要素を考慮しなくては、的確な配置が出来る筈がありません。
茶の湯と言うのは基本的に、教え教えられるものです。その社中の質は師範の「教育の腕」一本で生徒の多少、生徒の成長の大きさが決定します。高い質の生徒をより多く輩出する社中が良い社中だと評価されるのは、当然の話。
社会人教育は人事部にとって、採用以上に重要な仕事です。企業のイメージを決定する現場の動きや、それをバックアップする事務方の働きを良くするのも悪くするのも、結局は教育の腕一つに掛かっています。人間性と高い人間性と社会人スキルを兼ね備えた社員をより多く育てる人事部が「素晴らしい」と評価されるのは当然のこと。にもかかわらず、企業は教育にお金を掛けたがらず、むしろ中途採用によって既に社会人スキルがある程度出来上がったと“思える”人ばかりを採用したがります。新卒生を採用して教育するよりも投資回収が早く始まるのが、その最たる理由。だが、本当にそれで良いのでしょうか。
自分たちの手で一から人を創り上げていくと言うのは、本当に手間の掛かる仕事です。しかしそれが行えないと、良い意味で企業色に染まった企業のフロントマンを生み出す事は非常に難しい。中途採用というのはある種、傭兵のようなものだからです。彼らに企業に対する忠誠心を求めるのは非常に難しい。
中小企業がこれから強く逞しく生き残るための術の一つとして、最も大切なのは人事です。経理などの総務は、それこそ外注でも十分事が足ります。しかし、人事を外注することは非常に難しいと言えるでしょう。余程その企業のカラーを熟知し、そのカラーを全面的に教育出来るような会社および企業でなくては、人事を任せてはいけません。つまり、イズムを教える事こそが、究極の人事なのです。
人事のアウトソーシングにおいて、クライアント企業の企業理念を徹底追求する気が無い人事アウトソーシング会社は、一切信用してはいけません。ましてや、外部講師を招くだけならまだしも、複数企業の集合研修による教育など、信頼性ゼロに等しいと言って良いでしょう。外部の研修講師は原則として、クライアント企業の理念などどこ吹く風だからです。
なにも外部研修講師が害悪だと言うつもりはありません。弊社だってそのような仕事を引き受けることもありますし、人の事は言えないから。だが、一つの大きな弱点として、やはり複数の企業の社員達が集まるので、講師からの一方的な情報提供しか望めない部分があります。一方的に提供された情報のうち、使える物だけをピックアップすれば良いと言うのが外部研修のポイントにはなりますが、残念ながらそういった研修での「スタッフ変化率」は極めて低いのが通常。要は外部研修の効果は限りなくゼロに近い、と考えた方が得策なのです。
研修講師の世界に3%の法則と言うのがあります。研修講師が喋った内容の一部でも良いから実践に移す人は、100名受講者がいたとして、そのうちわずか3人程度、と言う意味。しかも今の時代、研修講師が「スキル」を教える事はあっても、「考え方」を教える人は滅多にいません。
人が育つ上に置いて最も大切なのは「考え方」です。私の裏千家社中においても、常にその「考え方」を学ばせるように心掛けています。それが無くては、点前作法など所詮無駄な形に過ぎないから。そんな「綺麗なだけ」の点前作法で美味い茶が点てられる筈がありません。だから私は茶の湯にしても企業教育にしても、「考え方」に重きを置いています。
企業人が育つには、理念の実践が何よりも重要。と言うのも理念こそがその企業にとっての「考え方」だから。与えられたスキルを実践する上において、考え方がその企業にとって適正なものでなくては、企業理念はお座なりになってしまうどころか、フロントマン達の行動が管理できなくなってしまいます。そんなスキル教育をしてしまえば、企業イメージはたちまちのうちに崩れていきます。
そのため私は、クライアント企業の理念を徹底的に読み込み、理解します。それが出来なくてはクライアント企業にむしろ、迷惑をかけてしまうから。
老舗と言われる中小企業の従業員達が官僚的な仕事をし、顧客から不評を買うケースがしばしば見られます。これには、やはり人事部の不在が大きく響いています。伸び盛りだったはずの中小企業の成長が突如とまってしまい、経営者が戸惑うケースもよく見られます。これもまた、人事部の不在が大きい。
茶の湯の世界にヘッドハンティングや中途採用はありません。全て自分の手元で一から育てるのが原則です(稀に転勤などの事情で他の社中から転入してくる人もいますが)。だから非常に強い責任感を持って、生徒達の指導に当るのが、われわれ師範と言う存在です。
企業もまた、人は本来、一から自分たちの手元で育てるものだと言う原理原則を思い出すべきでしょう。外部から講師を顧問として雇うのも良いでしょう。だが最も大切なのは、その人事に「教育スキル」が備わっているかどうか。そして人事に、どれぐらいの予算をかけるか、です。
中小企業の生き残りは、従業員教育にそのほぼ全てが掛かっていると考えて良いでしょう。会計などアウトソースで十分事が足りるし、マーケティングもまた、有能な外部コンサルタントを雇って、その人の指導を素直に受け入れれば事が足ります。だが、教育だけは如何ともしがたい。だからこそ、人事の仕組み作りほど大切な仕事は無いのです。
給与の仕組みなど、後回しでも良い。それよりもまず、教育の仕組みと評価の仕組みを考える事が最優先でしょう。
茶の湯も人事も、所詮教育に全てが集中します。最初の話に戻りますが、人事はその企業色を最も理解・実践出来ているベテランこそが行う仕事。入社して数年の人にそれを任せても、良い結果は望めません。酸いも甘いも嗅ぎ分けた、多くの人を見、育ててきたベテランだからこそ、本当の意味での人事が出来ると言うものです。