接客って一体何だろう?
色々な答え方があると思います。おもてなしであるだとか、付加価値であるだとか。とにかく人によって解釈は様々。

それらの様々な解答に共通して言えること、それは「追求が足りない」という事です。

たとえば、もてなしと一言に言っても、もてなしの何を知っていますか?付加価値と一言に言っても、付加価値が一体どんな役割を果たすのか知っているのでしょうか。

ほとんどの人は、「それぐらい知ってる」と言うでしょうが、ここからご問題です。

「では、おもてなしの意味や付加価値の意味をそれぞれ答えてください」
と声をかけると、口々に違うことを言い始めます。こう言うのを、「いい加減な解答」と言います。それはマナー講師や自称接客専門家でも同じこと。

いい加減な解答をするという事は、その人々に育てられた接客者達は、また更にいい加減な事を言い出します。正に混乱が混乱を呼ぶ状態ですね。そんな状況を食い止めるにはどうすれば良いでしょう?本当の答え、「いい加減ではない」答えを見つけるには?

それには、真理を追求することが最も大切。歴史を学び、そこから世の中の最も共通した部分、共通した理解を見出す事です。たとえば、おもてなしの歴史であれば、その歴史的な文化と考えると、茶の湯が真っ先に浮かんで当然。というのももてなしは、茶の湯によってイノベーションが行われ、その後今に至るまで、400年以上もそのスタイルを変えずに来ているからです。

そして茶の湯と言えば千利休。この偉人によってもてなしの最定義は行われ、今まで来ているのです。つまり、千利休の哲学とその根源を学ぶ事によってこそ、もてなしの真理を見出し、いい加減ではない、「正確な」答えを導き出すことが出来るのです。

千利休本人についても、その生い立ちを研究し、彼の哲学が形成される過程と、その根源になる師匠たちの哲学を知らなくては、そしてその師匠たちが彼等の哲学を生み出した経緯を知らなくては、本当の答えは見つかりません。残念ながらそういった根源を追求する人に巡り会う機会は滅多に訪れません。もしこれをお読みのあなたが、もてなしについて追求したいと思われるのでしたら、遠慮なく私のもとにいらしてください。何時間どころか、何日もかかるでしょうが、その真実をお話しましょう。来ているのです。つまり、千利休の哲学とその根源を学ぶ事によってこそ、もてなしの真理を見出し、いい加減ではない、「正確な」答えを導き出すことが出来るのです。

「付加価値」など、つい20年30年ほど前に新しく生まれた単語であり、人間の根源哲学に触れるほどの価値はありません。お話することはいくらでも出来ますが、そもそもお話する価値が無いのです。

接客って一体何?と聞かれたら、私は地震と根拠を持って「もてなしである」とお答えしましょう。接客が今の姿に至った歴史的な変遷も含め、堂々とお答えしましょう。そういった根拠を持たずに、ただ何となく自分の仕事上の経験にのみ基づいて、いい加減な解答を広めるのは、いかばかりか。あやまった価値観を広めるだけで、接客者のクビを絞めるだけです。

接客者は「もてなし」ます。そのもてなしが、世の中の消費を象徴します。そう言う意味でも、常日頃から自信を持って、素晴らしい接客をしましょう。後世に伝えられるほど、素晴らしい接客を。