根本的な部分で、今の若い人々は自分の限界を知りすぎています。と言うか、情報過多の時代に育ったから、自分で勝手に限界を決めてしまっているかのごとくです。
「これ以上出来ない」
「私にはこんな才能はない」
そう自分たちで決めつけてしまうから、外から見れば何も出来ない人に「見えて」しまうのでしょう。

でも、いざ自分の限界を突破し始めたら?自分の限定を解除しだしたらどうなるのか?今どきの若い人でも、やはりハングリー精神の権化となります。たしかに昭和初期の人々ほどではありません。それほどでは無いにしろ、それでも目立つほどハングリーに、多くの仕事を吸収しようと努力し始めるのです。

本人達の限定解除をさせる事なく、適当に育てようとするから部下の心が壊れてしまいます。そして、それすらわからないレベルの人が教育担当になってしまわないといけないほど、人手不足だから余計に難しい。教育担当とは、そもそも非常に高いレベルの教養と知性に富んでいなくてはいけないのです。

これはある意味仕方のない事ですが、そういった人を見抜く力は残念ながら、経営陣を含め、多くの人事関係者や現場教育者には有りません。と言うのも、彼らの中に教育をちゃんと研究した人、教育とは何たるかを定義出来ている人、そしてそれらを行う時間的余裕のある人がなかなか生まれないからです。その結果として人が辞めてしまい、人材が不足し、余計に時間的余裕が失われ・・・と言う悪循環に見舞われるわけですね。

離職率の高い企業は、100%確実に人が辞めたくなる仕組みが生まれてしまっています。そして、高い割合で「教育担当として相応しい教養と知識を持ち合わせていない」人が教育担当になってしまっています。仕方のない事情があるとは言え、現場の教育担当自身にとっても辛い話でしょう。

教育担当は、人を育てるだけでなく、人を見抜く役割も持ち合わせています。つまり、将来的な配属を検討する際に最も重要な役割を果たすのが、教育担当と言うわけですね。そしてその教育を司るのが、人事部と言うわけです。人事部の仕事は数値に見えにくいものばかりでしょうが、実は企業の将来や根幹を担う、大変な業務なのです。

人事を疎かにする会社は、滅びます。目の前で滅びてしまった会社もありました。だから、私はもう目の前では会社を滅びさせたくはないのです。

高校の時、「教育者になりたい」と真剣に思いました。大学でも教員免許を取得し、教育法についても色々と勉強しました。大学院では経営学を学び、組織論を得意とする教授に師事しました。

これらの過程は正に、今の私を生み出す為にあったのだと思います。教育と、その仕組みによって企業を助ける事こそ、私の生涯の使命なのです。