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小早川宗護 筆 「看脚下」

看脚下(かんきゃっか)、意味は「足元を看よ」。
茶の世界でしばしば使われる禅語の一つです。

人生と言うものは、生きれば生きるほど、生まれてからの自らの足跡が長く長く続くものです。その一足一足をしっかりと見つめ、踏みしめることが人生を達観する上において最も大切なこと。

常に自分が立っている位置を知り、自分の足元がどれだけ堅固なのかを知る事ができなくては、足元が不安定になってしまいます。だからこそ、人と言うのは「足元を看る」ことがとても大切なのです。

ただ漠然と「見る」のではなく、しっかりと「看る」ことこそが大切。そうしていれば、自らの武器に気付く事も出来るようになるでしょう。自らの武器を知らない人は、自らの強みを活かすことなく人生を送り続けることになるのです。

ドラッカーやマズローはこれを「自己実現」と言う言葉で表現しなおして大衆にも理解しやすいようにしています。が、自己実現というのはそう簡単に成し遂げられるものではないのは明白。つまり、「看脚下」が出来るかどうかが一つの鍵になるからです。

しばしば安っぽい自己啓発本などを読んでやたらとモチベーションを高め、「これが私のやりたいことなんです」と標榜する人を見かけますが、「やりたいこと」と「強み」は全く別物であることを認識できなくては意味がありません。それに「やりたいこと」なんて言うのは、その時々によって徐々に変化するものですし、一度価値観のパラダイムシフトが起これば、コロっと変わってしまうこともあります。

「やりたいこと」は、わたしに言わせればまやかしに過ぎません。人にはそれ以上に、強みを活かした「やるべき事」があるはず。その「やるべき事」を見出し、しっかりと理解すれば、自然と「やりたいこと」の本質が見えてきます。

だから、人と言うのは常に「看脚下」しつづける必要があるのです。