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小早川宗護 筆 「説破」

説破(せっぱ)。
禅問答で「作麼生(そもさん、問いかけるぞ!の意)」に対して解答するときに、「説破(答えましょうぞ!)」と返す言葉です。

拙著「接客は利休に学べ」は、「もてなし」ってそういや、そもそも何なんだろう?と言う問い掛けに対して、説破する、つまりハッキリかつ堂々と答える為に書き上げた本です。説破するためには、やはりそれなりの勉学を積み、そして自信を持たなくてはいけません。何の仕事に就いていてもそうですが、お客さんからすると新人だろうが何だろうがプロフェッショナルなわけですから、それなりに自信を持って解答する義務があります。

ところが近年の人材教育と言うのは、本当に取って付けたような正しく「付け焼き刃型教育」が主流になってしまい、人間育成・人間尊重と言う教育の原理原則が全く失われてしまっています。私はそれに対する警鐘を鳴らしたかったからこそ、拙著にそういう一節を込めたのです。「教育は時間がかかるのだ」と。

本来ならば、例えば接客の仕事でもそうですが、店頭に立つ前に最低でも1ヶ月は、徹底して商品知識を教育しなくてはいけない筈です。しかし現代、それほどまでに気の長い企業は滅多にありません。なぜなら人材の流動化が当たり前になりすぎてしまい、教育をしても時間の無駄だ、と言う考え方に変ってきたからです。

しかし、それで良いのでしょうか。新卒生や新人を中途採用者と同じような扱いをして、果たして社会人として成長するとでも言うのでしょうか。否、そんなことは、天地がひっくり返っても「絶対に」有りえません。そんな出来た新人など、この世には存在しないのです。

米国人はそう言った「教育」に対する感覚が全く異なります。伝統文化の無い国ですし、文化の中に思想性を感じることも無い。だから、人を教育する上においても、非常にコンテンツ的、場当たり的な教育しか行わないのです。それ故に、あれだけ先進国で優れた技術を次から次へと開発する割には、ちょっとした事ですぐ暴動が起こり、銃を振り回す民度の低さも兼ね備えています。

日本は全く違います。伝統文化にまみれ、それが外国人じゃないと気付かないほど生活の中に息づいているのです。人の育ち方・育て方も米国のそれとは正反対です。だから、日本には日本ならではの人の育て方が無くてはいけない。

にも関わらず、戦後の日本の教育は、企業教育を含め、地に落ちました。特にバブル崩壊以降の企業教育は悲惨の一言に尽きます。企業人の無責任主義を教え、保身方法のみがやたらと知れ渡り、企業人として人間性を高めている人を見る機会は、ほとんど無いと言っても良いでしょう。

だから、客に何かを聞かれ、すっと「説破」出来るほどの人材と言うのは、本当に育ちづらい環境になってきていると言えます。それほどプライドを持って仕事をする人も少なければ、それほど広範囲かつ専門的な知識を持ち合わせる人も少ない。

私は少なくとも、接客と茶の湯、つまり「もてなし」については絶対的な自信を持って「説破」致します。知識量で言えば、マナー講師の先生方の20倍~30倍は持ち合わせています。それだけ多角的かつ専門的に「もてなし」を研究してきたからです。

ただ、それが仕事なので「無料では説破しない」ケースの方が大半ですが(笑