弊社では接客教育を、大変責任の重い仕事だと考えています。接客の世界には様々な事情で職を選ぶ事が出来ず、接客の仕事をしている人が少なからず存在します。

そんな彼らに対して接客を教えるのですから、指導のしかた一つで彼らの人生が大きく変わってしまいます。良く変わることもあれば、悪く変わる可能性も否定出来ません。それ故に、やはり相当な責任感と覚悟が無くては、この仕事は勤まりません。

教育には責任が伴います。だから、教壇に立つには相当な時間を掛けて専門的な勉強をしなくてはいけません。例えば英語教師なら、中学校や高校の教壇に立って教科書を開き、簡単な文法を教えるわずかな教育実習期間までに、少なくとも3年間は「教授法」や「英語」についての勉強をします。そうでなくては、間違ったことや考え方を教えてしまい、それのせいで生徒達が人生を誤ってしまう可能性があるのです。それにも関わらず、学校教育ですら重大なミスや問題が頻発しています。

ところが、ビジネスの世界ではとんでもない事が起きます。専門分野でもないのに「やります!」とか言って安請け合いし、わずか1~2週間の手前味噌な勉強だけで講師として教壇に立つなど。こう言った講師をしばしば見かけますが、教育を軽く見るにも程があります。しかもそんな程度の学習レベルで企業からお金を取る。これは即ち詐欺と言っても良いほどのいい加減さ。経験もなければ専門的な知識も無いのに、ほんのわずかな知識だけで講師と自称してはばからない人には、辟易します。

私の場合、少なくとも接客の研究をかれこれ10年以上続けています。だから堂々と教壇に立つ自信がありますし、接客者達に本当の意味で必要な教育要素もしっかりと理解しているつもりです。しかしながら、それでもまだもっと研究すべきだと自認していますし、実際に研究も続けています。

ですが、なんちゃって講師と言うのは何なんでしょうか?正直、半月やそこらの勉強・研究程度で講師として登壇するのは、あからさまな背徳行為。はっきり言って、そういう中途半端にすらカウント出来ない程度の教育は、今すぐにでもやめて頂きたい。受講生や企業、世の中に対して無礼です。
真剣に研究し、真剣に学んだからこそ立つ資格を得られるのが教壇。教育とは、いかなる人が対象であっても、常に神聖な物なのです。その人の人生を大きく左右するのですから。

それ故、弊社で活躍したいと言う人がいれば、その人のことを徹底的に鍛えます。講師としてではなく、教師として。だから、弊社では「講師」とは呼ばず、「教員」もしくは「教師」と言う言い方をします。それほど「教える」と言うのは、重い責任を伴うものだと認識しているからです。

それこそが、接客教育のプロとしてのプライドであり、品格なのです。