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私は根本的に字が下手です。と言うのもまず「人の言う事を聞かない」子でしかも「妙に潔癖で衣服が汚れるのを嫌う」子だったから、習字の時間を妙に嫌っていたからです。

今から10年ほど前、とある不動産屋に勤めていました。お客さんに問い合わせを頂いた条件に見合う物件資料をFAXするとき、FAXの送信票を書きまくりました。その字もやはり、下手でした。

しかし丸一年働く中で、送信票を一体何百枚書いた事でしょうか。「下手でも手書きの方が相手に伝わる」と信じて、必死になって一日中FAXをかき続けたことを、未だに覚えています。そうしているうちに、気付けば少しは人様に見せられる字に上達していました。

それでもやはり、字は下手でした。

今から7年ほど前、独立した頃、毎晩写経に励んでみました。少しは字が上手くなればと、毎晩般若心経を1~2枚は書いていました。1枚当たりおよそ1時間半~2時間、かなり努力しました。それをしている内に、徐々に般若心経が何を訴えているのかが気になり始め、意味を考えながら書くようになっていました。徐々に明らかになっていく般若心経の教え。そこには「空」があったのです。

無ではなく空。それに気付かされた私は愕然としました。人とは何て無意味で、何て有意義な人生を生きているのだろう、と。だから心に決めたのです、「思いっきり生きて、死ぬときも思いっきり死んでやるぞ」と。生きる覚悟と死ぬ覚悟が整った瞬間でもありました。

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それから7年、未だに字は下手です。でも、写経のお陰もあって、少しはマシになりました。今は「上手に書く」ことよりも「思いっきり書く」事を大切にしています。そうすれば、意外と字のバランスと言うのは取れるようになるもの。

拙著をご購入頂いた方とお会いすれば、その場でサインを入れさせて頂いています。普通のサインでは何も面白味がないですし、やはり多くの人に喜んで頂きたいと言う想いもあって、その場で相手に伝えたい禅語を考え、それを書くようにしています。勿論筆ペンで。

その筆ペンも、安い物を使っては意味がないので、ちゃんとした万年毛筆の少しマシな物を用意しました。その筆も随分使い慣れてきて、クセがわかるようになってきました。そのお陰で、より「下手だけど良い字」が書けるようになってきました。

今では「書くこと」を楽しんでいます。楽しめなくては良い字など書けるはずがありません。

より多くの方が拙著を手にとって下さり、わたしにサインをする機会を下されば、何よりです。心からの感謝の念を込めて、書かせて頂きます。

この世で二つとない、「小早川らしい」サインを。